[ うまれて未完 ]
先の戦争で、この国は敗北した。勝利への希望は、最後には灰も残らぬほど完璧に消滅しきっていた。この時代に生まれ生きている国民は皆、この事実を嘆いたのだろうか。しかし俺には実感がない。
俺が兵にとられてから戦争終結までは一年もなくて、だから俺はほとんど戦いに参加しちゃいなかった。徴兵されてすぐ戦争自体が終わり、俺は元の場所にぽんと戻されたのだ。
敗戦の数年後に確立したここ赤線には、今だ現役兵士のつもりの男共や、戦争が終わったってちっとも救われていない女達がぎゅうと固まって生きている。戦いからも日常からも抜け切れていない者達が身体以外の何かをも求めて通ってくる。
初めて赤線へ来た時、俺もその中のひとりだったはずだ。他の者たちと同じように、自覚はなかったが、捨て鉢で、大人の癖にどこか拗ねていて、諦めが良く、しかし心のどこかに漠然とした特別な予感の焔を消し切れていなかった。
どの店に入っても同じようなものだろうかと歩いていたら、ちょうど前を通り過ぎた店から男が一人転げ出てきた。
ちくしょう、だの、金なら幾らだって、だの呟きながら、男はとぼとぼ歩き出す。道を空けてやり店に視線を遣ると、男を追い出したらしい女が半開きの戸口に寄りかかってこちらを見ていた。
「あんたもあの子目当てかい?」
まだまだ和装が多い昨今とはいえ、随分時代錯誤な格好だった。大小の牡丹が咲く打掛、衿の併せは必要以上に大きくひらけて胸の谷間をあらわにし、艶のない黒髪には不似合いな高価そうな簪を挿している。娼婦というより芸娼や遊女といった呼び名が似合いそうな装いだ。女は芝居染みた溜め息を吐いて首を振った。
「他の子なら手は空いてるよ。いい子もいるから、どお?」
歩み寄ったクラウドを上目遣いに眺め、女は赤い唇を舐めて笑った。誰の話かわかりゃしなかったが、話しを合わせて頷いた。初っ端から曰く有り気なところを見せられたが、これも何かの縁だろう。どうせどの店でも良かったのだし。
店に入ったクラウドは、床入りを果たす前に一騒動に巻き込まれた。クラウドのせいではない。店側の問題だった。店子である先ほどの女主人と大家、そして女主人と店の抱える娼婦が、本来客に見せてはならない悶着をクラウドの目の前で起こしたのだ。
「とんだ無礼を・・・お客さん。本当に申し訳ない」
売春宿の作法など露ほども知らないし、面倒だとは思ったが直接被害は被っていないので大して気にはしなかったが、癖のような無表情が物慣れて見えたのか、店主は仕切りに詫びて、クラウドを奥の一室へ案内した。
中には、1人の娼妓が薄っぺらい布団の上に座り込んでこちらを見つめていた。
その人は、女主人の指示なのか彼女と同じような服装をしていた。下品なまでに派手派手しい金色の帯に赤い長襦袢。売春宿で下品も上品もないかもしれないが、少なくとも彼には不釣合いな装いに映った。ただ、驚くほど長い銀髪を結い上げている髪留めと簪は女主人とは違い、とても似合っている。
さして広くもない部屋だ。褥の枕元と足元にそれぞれ二本ずつ行灯が立っていて、室内を橙色に照らしている。昔の遊郭を演出しているつもりなのだろう。安っぽいが彼が在る御蔭で美しい。
本当にかつて栄華を極めた花柳界の花魁の部屋へ迷い込んだのかと錯覚するほどだった。
今もその一室にクラウドはいた。
初めて訪れたあの日から何度通ったかわからない。彼は娼妓ではなく陰間で、名をセフィロスといった。
クラウドは自分の腕枕で眠る青年を眺める。彼は寝顔も上等で、こんなところにいる器じゃないと強く思わされる。
聞けばセフィロスは、仇方にあった戦勝国の兵士だったのだそうだ。
クラウドとは違い、大層な肩書きを戴くほど健闘したらしい。そんな男が何故、敗戦国の赤線の片隅で春をひさいでいるのか。毎夜男に組み敷かれ、泡銭を受け取る生活。クラウドが訪れると必ず時間を取ってくれるが、既に他の客がついている時は、終わるまで待たされることもしばしばあった。
以前女主人にそれとなく訊いてみたことがあるが、詳しいことは知らない、でも彼は望んでここにいるのだと言っていた。あたしはあの子のやることには口を出さないし、自由なものよ。と彼女は言った。いい例として、最初に見た店から追い出されていた男は店の意向でなくセフィロスが応じたがらなかったから追い返したのだという。自堕落な女主人は何かにつけ毎回言うことが違うのでそれが真実かはわからないが、確かにセフィロスが本気で出て行こうとすれば誰にも止める手立てはないだろう。弱みを握られている風でもない。ただの色情狂とも思えないセフィロスは、それでもいつだってここで着物の前を開けて万人を待っている。
けれど自分たちの関係だけは、客と陰間というだけではないわりない仲であると、口にしなくてもわかっていた。
セフィロスに腕を貸したまま、クラウドは仰向けになって天井を仰いだ。
「・・・いつか母国にかえるのか?」
か細い声で宙に問う。
独り言のつもりだった問いかけは、しかし眠っていたはずのセフィロスに拾われた。まるでセフィロスのくぐもった笑い声が蝋燭の火を操っているように部屋中の橙がゆらゆら揺れた。
クラウドの眉が切なげに顰められる。セフィロスは相手の真剣さに笑いを引っ込めて、今度は柔らかく微笑んだ。
「いつか帰ることになったら・・・・」
セフィロスは一旦言葉を切った。
「帰りたいか?あの世界に」
「・・・・・帰るのはあんただろ」
腕を伸ばしてクラウドの黄金色の髪を梳き、目を細める。
「おまえも外人のような見た目をしているだろう」
「ああ・・・・・でも俺は日本人だ」
「おかしいな」
クスクス笑って、セフィロスは不意に笑みを消した。ぼんやりとクラウドの双眸を見つめ、首筋の傷に手を伸ばしてきた。
何度目かの逢瀬の際、セフィロスはクラウドの傷に気がついた。
あの時、徴兵された先で訓練中馬鹿馬鹿しいミスをして負ったのだと説明すると、セフィロスはどこか懐かしそうに目を細めたのだった。
「こちらでも、おまえは兵士だったのだな・・・」
右頬から首にかけて大袈裟に残った傷痕を、最中の愛撫とは違う愛おしさでゆっくりと指先で撫ぜられた。
「あんたと話してると、まるで自分が記憶喪失にでもなったみたいな気になる。あんただけが、全部覚えてるんだ・・・」
「全部ではない・・・」
セフィロスは、ふふ、と笑って草臥れた毛布を引っ張り上げた。ふざけているだけなのかそうでないかのか、判読し難い笑いだった。脱いだまま丸まっている襦袢を毛布に重ねて掛けて、セフィロスが更にクラウドに擦り寄る。
寒さに震えるセフィロスを密に抱きしめて、クラウドは思いついたように言った。
「あんたの記憶を共有出来るなら、行きたいな」
「・・・・帰りたいのか?」
「ああ、行くんじゃなくて、帰る、か」
言葉遊びに付き合って言い直してやると、冷たい声が返ってきた。
「あちらに帰れば、今度は俺が忘れるさ」
「・・・・・・・・」
「じゃあ、ここにいようか。ずっとここでこうしてようか」
腕の中でセフィロスの啜り泣く声が聞こえた。
「・・・・・身体を売るのは、やっぱり辛い?」
「そうじゃない。そんなことじゃないんだ・・・」
セフィロスが泣くところを、クラウドは初めて見た。知り合ってから一月と経っていないのに、何故か彼は泣くような人ではないと思っていた。ずっと前からそうだったから。ずっと前から?ずっと前っていつだ?
埃臭い売春宿の一室で、二人は、抱き締め合って泣いた。
帰らなきゃ、とどちらからともなく呟いて、ずっとずっと泣いていた。
end.
ディシディアはわかりませんが、KH2の二人は元居た世界に帰っていったような演出がされていましたね。
あの中途半端なパラレル具合ってすごくおいしいんじゃないかと最近になって気付きました。せつない。ああ赤線とか和服の構造とか知識ないのでいっそまったく調べません。