たぶん高校生くらいです
[Dahliaria]
不穏な空気を感じて、眠りから覚めた。
目を閉じたまま耳を澄ますと、頭上からずるずる鼻をすする音が聞こえてくる。泣いてはいないが、その一歩手前の状態のようだ。
まったくこの子は、と少々悦に入りつつもったいぶってゆっくり瞼を上げると、想像通り唇を噛み締めた白雪の顔が視界に現れる。
やぁ白雪ちゃん、なにを泣いているんだい?
頭の中できっちりセリフを組み立ててから口を開こうとした瞬間、ぶんっと空気を震わすような一撃が頭の真横に落ちてきた。
ぎりぎりでかわした千影が横目で見ると、おたまが枕にめり込んでいる。包丁でないので完全にキレているわけではなさそうだが、やばいことには変わりない。
素早く上体を起こし、ベッドのスプリングを利用して跳ねるように立ち上がる。妙に明るいので白雪の家かと思ったが、自分の部屋のようだ。儀式用の。24時間きっちり引かれているカーテンが開け放されて窓から光が差し込んでいるから分からなかった。お昼くらいか、と察しをつけたところで第二派が飛んできた。
拳をねじりながら真っ直ぐ前へ突き出すストレート。だが、袖にフライ返しを仕込んでいる分リーチが長い。腰をひねって避けたが、フライ返しの先が腹に届いた。大した衝撃はない。触れた程度だ。スッと後退し間を取る。
下ろしている髪が相手に毛先を向けて宙を舞うが、それを掴んで引っ張るという女の子同士のケンカにありがちな、しかしそれなりに効果のデカい攻撃はお互いにしない。暗黙の了解だ。
おたまにフライ返しか、と思いつつ、千影はいつだったかのバトルで使われた最凶武器を思い出す。刺身包丁でも、目の前で割られたワインボトルでもなく――――ハンドミキサー。電動式。ぎゅるぎゅる回る二つのミキサーには本当に背筋が冷えたものだ。コード付きで移動範囲が限定されるというハンデを利用し、色んな意味(法律とか)でギリギリな薬を注射した千影のほうがよっぽと怖いとあの時白雪が確信したことは知る由もない。
千影はマントの中に手を突っ込んで内ポケットから小さな布袋を取り出し、弾みをつけて一気に間合いを縮めたところで白雪の鼻付近を狙って中身をぶちまけた。
「ッ、ちか、これッ」
人間内部に浸透する攻撃には弱いのだ。足にクる魔法の薬。千影はふふんと笑ってそのうち堪らず膝を折るであろう白雪の両手首を掴み、先に上体を支えておいてやる。
「まったくおてんばだな。さぁ大人しくして・・・・・・・一体どうしたん」
ゴォォォン、鈍い音を立てて、白雪が千影に頭突きをお見舞いした。石頭による至近距離からの満身の頭突きである。
一瞬見えた白雪の顔は、顎を反らせてえらく威圧感のあるものだった。
――――そういえば、鼻を詰まらせていたんだっけ。
がくりと、千影の方の膝が地に着いた。
引き摺るようにベッド運ばれた千影に、白雪は先刻の勢いはどこへやら、再び涙ぐみながらぽつりぽつりと言葉を零した。
いわく、新作のお菓子がうまく焼けたので千影に食べてもらおうと意気揚々とここを訪れたとのこと。
チャイムを押してもドアを叩いても名前を呼んでも反応が無いので、これは防音室(千影が言うには『儀式の間』)に居るなと察しをつけた。黙って入るのは気が引けたが、お菓子は刻一刻と冷めていくし、何より白雪は家主から直接合鍵を貰っているのである。それでもちょっと躊躇してから、自分で鍵を開けて中に入ったという。
「そうしてここへ来てみたら部屋は暗いし千影ちゃんは寝てて・・・・」
白雪が部屋に入ると、唯一の明かりとりである机の上の蝋燭が、部屋の隅に備え付けられたパイプベッド(儀式が長引いた時の仮眠用)ですやすや眠る千影を照らし出していた。
寝ている。もう昼も近いのに。訝しがって近づくと、千影は寝ているにもかかわらず、なにやら嬉しそうににやにやとしていたそうだ。不思議に(それと少々不気味に)思いつつ何とはなしに部屋を見渡せば、机の上に怪しげなものが置かれている。
危険な実験だかなんだかはするなとお願いしてあるが、白雪は恐る恐るそれに近づいた。
そこには。白雪の写真が貼り付けられたちいさな泥人形が、どんよりとした蝋燭の火を映して鎮座していた。
「なんですのあれ!なんですのあれ!?」
なんなんですのあれー!!ともう1回叫んで、白雪はとうとう泣き出した。
「は!そうだった!12時間太陽の光から遠ざけておかなきゃいけないのに・・・!」
どうしたんだ!?と詰め寄られて、人が泣いてるっていうのにあんた、と思いつつも白雪が答える。
「姫の写真がついてるから捨てるのも怖いし・・・あれ」
白雪が指差した先、光の差す窓のカーテン吊りに、紐で吊るされた人形がふらふら揺れていた。
「・・・・あああ・・・・・・・三日三晩念をこめたのに・・・・・・・大失敗だ・・・」
「込めんなですのー!!!」
うわあぁぁん!
「誕生日を祝われないのは今更だけどこれはあんまりですの!!」
そう、なにを隠そう今日は白雪の誕生日なのだ。泣き伏した憐れな主役に、漸く千影が人形から目を離して視線を向ける。表情からは分かり難いがなんとなくあわあわして見える。
「・・・違うんだ白雪ちゃん・・・これは私の年中行事・・・というか恒例の儀式で・・・今年やっと完成するはずだったんだ呪いではないんだ・・・・」
微妙に文がおかしい辺り実際にあわあわしているようだ。白雪がそろそろと泣きっ面を上げた。
「恒例、行事・・・?・・・・千影ちゃんまさか毎年姫の誕生日はここに篭って・・・?」
白雪のいい加減ほんとのことを言ってくださいですの的視線(潤んだ瞳付き)を受けて、千影はしぶしぶ口を開いた。
「同じ人形と同じ写真を使って、4年間対象者の生まれた日に同じ手順で行うと・・・・とある成果が得られる古代からの呪い(まじない)があるんだ。予定では・・・今日は夜起きて、準備の整った人形に一晩かけて最後の仕上げをするつもりだった」
「4年・・・・」
そういえば、千影が当日含め白雪の誕生日前後に姿を現さなくなったのはそれくらい前からだったかもしれない。
「本当は対象者に話すと意味を成さなくなるが・・・どちらにしろもう意味は無い」
ちらりと窓の方に視線を遣って気落ちした溜め息を吐く。
「来年からは違う方法を探さないと・・・・」
「千影ちゃん」
白雪がベッドに腰掛けている千影の手に、自分のそれをおずおずと重ねた。
「それって・・・・・・・・恋占い、の類ですの?」
「・・・・・・・・・・」
見上げた先の千影の頬は、ほんのりと赤く染まっていた。一瞬頭に浮かび上がった、存在の抹殺系の呪いという選択に自然とバッテンがつけられる。
「どうしてそんな・・・・・・もう、ちかげちゃん」
目を細め眉を寄せて溜め息を吐く白雪の顔は、決してもう怒っても呆れてもいなかった。
「そんな今更なことで誕生日に部屋に篭られるより、傍にいてくれる方がずっと嬉しい・・・ですのに」
「ああもうほんとにばか」
「勢いこんでバトっちゃったし」
「それでも嬉しいとか・・・思っちゃう姫って・・・」
ほんとばか・・・・・
両手で顔を覆った白雪は、耳まで真っ赤だった。
千影はそれを呆然と眺めながら、目の奥がじんと熱くなるのがわかった。
先程とは違って、力を込めずにそっと白雪の手首を包み顔から離させる。
「すまない・・・」
お誕生日、おめでとう。
「ずっと一緒にいてくれる・・・?」
文頭に、今年こそは、とか、今日は、とかが抜けたセリフに、けれど白雪は涙を零す瞳を和らげて大きく頷いた。
千影が白雪をベッドへ乗り上がらせて、ぎゅうと抱きしめる。
「・・・それで、願いは叶いましたの?」
くすりと笑って言った白雪に、千影は「言うと叶わないから」と小さな声で笑った。
――――そろそろ、くるんじゃないかしら。
しばらくお互いの肩に頬を預けて抱き合っていたふたりは、同じようなことを考えてドキドキしていた。
これはいわゆる―――キスのタイミングではないか。
千影と白雪は、姉妹という間柄もあって間接キスは何度も経験しているが、口と口を合わせてのそれは実は一度もしたことがない。
ちなみに、ファーストキスの相手は兄だ。二人とも。もっと言うと12人の妹全員。
短大を出てすぐ、兄は父の後を追うように海外へ旅立った。卒業式から三日後のことだった。
一緒に連れてってと駄々をこねた妹もいたが、学生の身分でそれは叶わず、皆涙ながらに愛しい兄を見送ったのだ。
卒業式後の身内での祝賀会で初めて国を出ることを告げた兄は、12人それぞれに一言ずつ言葉を残し、出発までの三日間をその準備に悩殺されて過ごした。
もっと早く言って欲しかった、とは白雪と千影を含め全員が思ったことだが、今思えば確かにそれは正しい判断だったと思う。逆に諦めがついたし、それにもしあと一週間猶予があったら、変な気を起こす者も正直いたかもしれない。
色々あったが、とにかく、その三日間で12人が12人とも兄にキスを強請ったのである。
千影が想像するに、おそらく全員自分が受けたような親愛を込めた軽いキスだっただろうが。
後でその事実を知った皆は、空港で疲れたように頬を引きつらせていた兄の心情を思い自分のことは棚上げにしてちょっと他の妹を恨んだ。
三日間で妹全員とちゅー・・・・・。そうとう複雑、というか、微妙だったのではないか。兄は比較的、常識人だったし。
12人は怒るとか悲しむとかを忘れて、「あー・・・・・」と呟いたきり無言になった。あの日の情景は今も忘れられない。
そんなこんなで、千影と白雪は俗に言うセカンドキスの到来に胸を高鳴らせていた。ぴったり密着しているので、身体に響く二人分の心拍がうるさいくらいだ。
白雪の肩口からぎこちなく顔を離した千影は、目を合わせるのと自分の意図が読まれてしまいそうで、つい視線を彷徨わせているうちに、今日初めて彼女の全貌をちゃんと見た。
真っ白なブラウスに、赤いビロードの箱ひだのスカート。襟口や袖周り、スカートの裾にまでひらひらのフリルが踊っている。いつものエプロンも今日は着けていなかった。
おそらくよそ行きの、特別な日に着る用だ。・・・・・誕生日。千影はまたちょっと申し訳ないような気持ちになる。
ついじろじろ見ていたのに気づいた白雪が、スカートの裾をぴんと弾いて苦笑いを浮かべた。
「ここ数年、誕生日はいつもこの格好ですの。あ、4年ですのね。母さまに買ってもらって、千影ちゃんに見てもらおうとおもって・・・でも、会えなくて。意地になって毎年この日しか着ないんですの」
4年越しで報われましたと、ふにゃりと顔を緩ませた白雪に千影はますますバツが悪くなる。
「・・・・よく似合ってるよ」
「だいぶちいさくなっちゃいましたけどね〜」
ふざけたふうに笑う白雪の言うとおり、ブラウスの袖の長さか中途半端に見えなくもない。でも似合ってるから、と千影は少々苦しいことを言った。
「誕生日プレゼントに、服を買うよ」
「ほんとう?楽しみですの〜」
千影は白雪の腰にまわしていた腕を解いて自分がしていたチョーカーを外した。なんとなくチョコレートを連想させる、こげ茶色の革製のものだ。そのまま白雪の首に着けてやる。よく見えるようブラウスのボタンを二つ外させてもらった。
「とりあえず・・・だけど。これはバレンタインのチョコ代わりに・・・」
白雪が自分の首に手をやってチョーカーを指でなぞる。首にぴったりと馴染んだ革の柔らかい感触に、それなりに使い込まれたものだということが分かった。
「ありがとうですのっ」
にっこり微笑んで、それからくしゃりと顔を崩す子供っぽいものに笑みを変える。
「抱きしめるところからやり直しましょ」
ぎゅうと千影に抱きついて、先ほどと同じ姿勢に戻る。
千影も再び相手の肩口に頬を寄せ腰に腕を回す。自分があげたチョーカーのせいで白い首に鼻をくっつけることが出来なくて、ちょっと失敗したかなと頭の隅で思った。
おもむろに顔を上げて、今度こそ白雪の目をしっかりと覗き込み顔を近づけた。
end.
「ところで千影ちゃん、おでこにたんこぶできてますの」
「誰のせいだい、だれの?・・・まったく、この石頭め」
「千影ちゃんはなんかやーらかいですもんねぇ。姫の頭が固いのは中身を守るためですの」
「どういういみだ」
千影ちゃんたちばよわい!
白雪ちゃん誕生日おめでとうおめでとうおめでとう!