最終レーンは二段オチ。
雲ひとつない空にパァンと乾いた音が響いた。
それを合図に、横一列に並んでいた少女達が一斉に走り出す。
陸上部でもない限りスタートダッシュなんてそう上手くは決まらないもので、何人かが砂利で滑って出遅れた。白雪もその内の一人だ。
しかしさして焦りはしない。少し崩れた体制を立て直し、ほよほよ揺れる成長途中の胸を庇いつつ徐々に足を速めていく。勝ちたい想いがないわけでは決して無く、ただこれはスピードだけで勝負が決まる類の競技ではないのだ。
白雪が今まさに奮闘しているこの競技は、借り物競争。運動が別段得意なわけでもないことを自覚している白雪は、学年対抗リレー、クラス対抗リレー、200M走などは足の速い人達の活躍の場として喜んでゆずり借り物競争にエントリーした。有難いことに白雪のクラスは体育祭に大いに盛り上がっていたので長距離走の押し付け合いも起きることなく、比較的平和に編成が決まった。本当は一番ラクな50M走に立候補しようと思ったのだが、定員割れで弾かれてしまっていた。
まず50M先の中間地点まで走り、各々地面に石の錘を乗せて置かれている封筒を拾って中の紙切れに書いてあるものを借りてくる。そしてまた50M走ればゴール・インだ。
障害物競走などよりは至って単純だが、そこは若い少年少女のやることで、指定されているモノは物であったり者であったり、たまに常識を外れたネタ扱いのものさえあるのでこれが意外と油断出来ない。
白雪は7人の内5番目に中間地点に走りついた。三枚残った封筒を瞬時に見渡し、結局自分の足元のそれを拾い上げる。ご丁寧に糊付けされている封を千切って中身を確認する。
そこに書いてあったのは。
『愛するひと。』
ああ・・・・・・と、白雪は思わず溜め息を零した。普通じゃないお題が一つや二つ含まれていることは想像できたが、せめて自分が引くのは定番の「眼鏡」とか「三つ編みの女子」とかであってほしかったと思う。籤で最終レーンに当たったのがこんなところで影響するとは。考えてみれば最終レーンなんてオチみたいなもので、まともなお題は最初から望めるべくもなかったのかもしれない。
しかし周りを見れば、他の選手も大半は困惑顔でキョロキョロしたりしていて挙動不審だった。頬を赤らめている子もいる―――――おそらく封筒の中身は全て同じだったのだ。
この学校の体育祭では、創立当時からの伝統である『スーパー玉転がし』(とにかく転がす玉が半端じゃなくデカい)がイロモノ系の中では一番人気なので、積極的な子は借り物競争よりそちらに移る。同じレーンの子達は大人しめの女の子ばかりで、大手を振って想い人を迎えに行くようなタマはいないようだった。皆かなり困っている。
それでも、競技であれば仕方なかった。観客席や応援席からは大きな声援がひっきりなしに発せられていて、いつまでもぐずぐずしていればやがてそれはブーイングに変わるだろう。選手達は意を決したように散り散りに走り出し始めた。
(姫の好きなひと・・・・・・・・・・・にいさま!)
気を取り直して地を蹴った瞬間、白雪は思い出した。借り物競争の後は男子による100M走。兄の競技だ。ということは、既に彼は校庭の最端の選手控え場所・・・・・・・それでは高位を狙うことはおろか兄自身にも迷惑をかけてしまう。
あああどうしよう!と焦りつつも、助けを求めるように足は自然と自分のクラスの応援席に向いた。すると、最前列でにやにやと笑みを浮かべて手招きしている鈴凛が視界に入った。
「白雪ちゃんっ、ゴメン!まさか白雪ちゃんが最終レーンになるとは思わなくってさ」
謝りつつも笑い続けている訳知り顔の鈴凛にハッとする。そういえば鈴凛は体育祭実行委員の四葉の手伝いで、よく準備会に顔を出していたことを思い出した。
「鈴凛ちゃんたちの仕業ですのね!ひどいですの!」
「確か『愛するひと。』でしょ?それ。アニキは次の種目だから今連れて来たら間に合わなくなっちゃうよね。まじでごめん!」
「悪いと思うならその顔やめてですのぉ!」
パンッ!とにやけた顔の前で手を合わせる鈴凛を睨みつけるが、そんな二人のやり取りを眺めていた他のクラスメート達がやいやい声を掛けてきた。
「おい海神!早くしろー!」
「せめて三位には入れよな!」
「白雪さん頑張ってー!」
「もうっ!みんな勝手ですの〜!!」
野次から逃げるように応援席を離れる。一つ頭に浮かんだ人物の影に、迷う気持ちはあったものの、もう意地だ。白雪は一目散に10mほど離れた応援席にダッシュした。
「千影ちゃん!」
人だかりの隙間から、後ろの方でクラスメート達の影を利用して涼んでいる見慣れた顔を確認して、大声をあげる。場は沸き立っていたがすぐに白雪の声に気付いて顔を上げた千影が、鷹揚な動きでブルマから伸びた長い足を組み替えて笑った。
「やあ、白雪ちゃん・・・・。借り物は何だったんだい?」
「優雅にキメてる場合じゃないですの!協力してもらいますわよ!」
人垣を掻き分けて千影の手を取り、少々強引に立たせる。周りから「白組の子が乱入してっぞ!」などという声も聞こえたが今は無視だ。というか、正直恥ずかしくってほとんど耳に入ってこなかった。
――――白雪は、大分前から、同じ海神姓である千影に片想いしていた。兄に対してものとは同じベクトルで測れない想いを、胸の中で育んでいたのだ。
千影の手を引いてゴールに入ったのは、2番目だった。ゴールして初めて、どうしてこんなに必死になってしまったのかと我に返った。繋ぎっぱなしだった手を反射的に振り解くと、千影は不振そうな顔で、それでも文句を言うでもなく体育着の汚れを払っている。
こんなところで告げるつもりは無かったのに。もっと時が熟した頃に、多少は雰囲気のある場所で・・・・想いを伝えたかった。それは少なくともこんな砂埃の舞う校庭のグラウンドではなかったはずだ。
―――――それでも、本当に好きな人がいるのに、適当な人材で済ますのは嫌だった。
待機していた実行委員に封筒と紙を叩きかえす。すると、それを見ていた千影が急に顔を赤くして白雪を見た。
「バレていたのか・・・・」
へ、と思って先ほど自分が渡した紙を見ると、裏返しになった紙には、白雪が見たのではない言葉が書かれていた。
『或いは、自分を愛しているひと。』
「そういうことなら・・・・しょうがないな・・・・。本当は、こんなところで言うつもりはなかったのだけど・・・・・」
そう言って、千影は白雪の耳に顔を寄せ、小さく、囁いた。
揃って頬を染めて、嬉しそうに二位の列に並んだ二人を見て、一位の選手が不思議そうに首を傾げた。
end.
ら、ラブラブ・・・・・